「謙愛」の精神のもと幼児の健やかな成長を見守り続けます。
洗足学園は大正12年の関東大震災のわずか2か月後に、未曽有の惨事に直面し、「残る半生を人のために捧げたい」と決意した創立者前田若尾が、自宅の二階八畳二間を教室に開放した私塾として誕生しました。前田若尾は女性の自立を支える教育の必要性を唱え、翌大正13年に自宅の敷地内に新たに校舎を建て、女学校を設立したのです。「順境の人を教育する人は他に幾人もいるが、逆境の人に燃ゆる如き心のすべてを献げてみたい」という前田若尾の熱意は、大正デモクラシーによって女性の社会進出が広がる中で多くの賛同者を得て、大正15年には洗足高等女学校の設立に至りました。
洗足学園はミッションスクールではありませんが「洗足」という命名は、新約聖書に由来しています。十字架につけられる前夜、最後の晩餐の席を前にして、キリストは12人の使徒たちの足をひとりひとり洗い、こう命じました。「主でありまた教師である私が、あなたがたの足を洗ったからには、あなたがたもまた互いに足を洗わなければならない」(新約聖書ヨハネによる福音書第13章)。敬虔なクリスチャンだった前田若尾は、校名を「洗足」と定め、この教えに込められた奉仕の精神を養い、社会貢献に取り組むことを洗足学園の理想としたのです。
前田若尾は理想を高く持ち、身近なことから着実に実行していく、という意味を込めて「理想高遠実行卑近」という実践標語を掲げました。前田若尾は昭和22年に天命を全うしましたが、その遺志を継いだ前田豊子は「理想高遠実行卑近」の言葉通りに、若尾の死の翌年には、空襲によって焦土と化した川崎市の校地に、昭和23年4月、園児60名先生4名の洗足学園幼稚園を開園いたしました。まだまだ物資が豊かでなかったこの頃から、子どもの成長のために、質の高い教育環境を追求し、努めてまいりました。90(余)年を経て、現在では幼稚園から大学院にいたる総合学園となった洗足学園の歴史は、まさに挑戦の連続でした。子どもたちもあそびを通してさまざまなことに挑戦していく中で、自分を高め、大きな未来に向かって日々成長しております。